雨上がりのヒツジ

ステージ4乳がん多発性肺・骨転移闘病記

がん細胞の存在感

ピッコロの母

治療を受ける中で、抗がん剤ががん細胞に作用している感覚が頻繁にある。


当初は左肺の内側、今は左側のあばら付近で感じられる。感覚も強弱も様々で、どくどくと鼓動する感じだったり、ぐ~っと収縮する感じだったり、じんじんと痺れるような感じだったり・・・。痛いとまではいかないが、やはり不快で当然気になってしまう。がん細胞がまだ健在で、抗がん剤が何らかの作用を及ぼしているんだな、と分かる。願わくばこれががん細胞が破壊されている瞬間であって欲しいとも思う。


今日は一日中、左あばらにそのような疼きがあり、おのずと一日がんの存在を感じながら過ごした。


入院中に一度強烈に病巣が疼いて痛む程だったことがあり、主治医に状況を説明したことがあるが、「いや、それは気のせいですよ。がん自体は痛くなったりしませんから」とあっさり流された。


先生、先生はがんになったことがないのに、なぜ気のせいだ、がんは痛くないと断言できるんですか?・・と聞いても詮無いことが頭をよぎった。患者が何かしらの症状を訴える時は、確かにそれを感じているからであって、聞く側は例えそれが症例として少数であっても耳を傾けるべきでは?と。


がんを患った医者が、初めてがん患者の気持ちが分かり治療の姿勢が変わった、などという話を聞くと、さもありなんと思う。一方、私の主治医は若く健康に不安などないように見える(決して主治医もがんにかかって欲しいと願っている訳ではないです。念のため)。弱った患者に寄り添うタイプではない。治療方針等、基本的なところでは信頼しているので、多少共感力が乏しくとも構わないと今では思えるようになった。このがん細胞の存在感について、これからも主治医に話すことはなく、一人静かにまだここにがん細胞がいるんだなと思うのみ。









言われたらつらいことトップ3

ピッコロの母

個人的に進行がん患者として言われたらつらいことを3つ挙げてみたい。


1. 「実はうちも身内にがんを患った者がいて・・・」


一見この言葉は、発言者ががんについて(間接的な)経験があり理解があることを示していて、聞く側はありがたく思うべきことなのかもしれない。が、その事実を知ったからと言って自分の置かれている現実は1ミリも変わらない。その方が幸いにも早期発見で手術のみで済んだとか、頑張って克服して今は経過観察中などという話を聞くと、羨ましさで落ち込んででしまう。逆にその方が闘病の末亡くなったというパターンだと、その事実がずっしりくる。


2. 「なぜこういう状況になったの?」


この時点でこの質問をされると、はっきり言って長い話になるし、話をしている内に「あの時のあの決断は間違いだったのかもしれない」などと後悔の念が押し寄せてきてくる。前向きに治療に取り組んでいる身にとって、過去に引き戻されるような質問をされるとやはりつらい。


3. 「今後の治療はどうなるの?」


これはもう、まさに自分が知りたいことで、この質問をされると途方に暮れてしまう。


相手が私の状況に関心を持ち気遣ってくれていることは重々わかっているし、心からありがたいと思う。ありがたさとつらさで一瞬思考停止に陥ってしまう、何とも不思議な感覚。


そして思う。自分もこれまで、様々につらい思いをしている人に無意識に心無い言葉を投げかけていたに違いないと。










副作用でつらい時は

ピッコロの母

抗がん剤投与から一夜明け、徐々に副作用の症状が出てきた。


胸のむかつき、むくみ、顔のほてり、食欲減退、味覚異常。
体は普通に動くので(寝込む程ではないので)、それはありがたいと思う。


副作用でつらい時、自分本位にのんびり過ごした方がいいと考えがちだが、私の場合大切な人・ものについて考えたり行動することでとふっと心身が楽になる。自分以外の存在に思い馳せることで、副作用のつらさに囚われがちな自己から距離を置くことができるような気がする。


母とドライブがてら近場の史跡にお参りに行き、ランチを食べ、地元の野菜を買い込んで帰る。
娘2人にLINEで近況を伝え合う。
妹に電話する。
夫婦2人のための夕食を作る。


こんな感じで一日を過ごし、不調ながらも満たされた気持ち。


ただひとつ、副作用中に誰かと食事する時に、気を遣って同じものを食べ(軽めではあるが)苦しくなることがしばしばあるので、これは無理しない方が良いですね。