雨上がりのヒツジ

ステージ4乳がん多発性肺・骨転移闘病記

病気になっても性格はそのまま

がんを含め、重い病気と闘っている人々をメディアが取り上げることがあるが、
同じ患者として複雑な気持ちになることがある。


画面に映し出されたり語られたりする彼らは、前向きで、ひたむきで、素直で、周りに感謝し、イノセントで、基本的に「善なる、励ましたくなる存在」として描かれている。
正直、闘病患者が皆こんな感じだと思われたら困るなぁ、と思う。


当事者及びその家族にとっては自明のことだが、闘病患者が必ずしも善なる存在というわけではない。


意地悪だったり、
計算高かったり、
自堕落だったり、
嫉妬深かったり、
攻撃的だったり、
高飛車だったり、
図々しかったり、
欲張りだったり、


私を含め、ダメな部分を持つ人達も多くいるわけです。
病気になる前からのキャラクターが病気になったからといってがらっと変わるわけではなく、いやな奴はいやな奴のままである。大病してから人生観が180度変わり仏のように変貌した、という話も聞くが、稀なケースだと思う。


がんになって周囲から「気の毒な人」「病気なのに頑張っている人」という目で見られ、そんなイメージを壊しちゃいけないとちょっと演じていた時期もあった。
結局、そういう無理な演出は続かず、本来の自分に戻った。


あなたが知っている病人が上記のような「励ましたくなる存在」じゃないと分かってもがっかりせず、元々そういう性格だと理解して欲しい。そして、性格の悪い病人はきちんと指摘するなり、叱るなり、疎遠にするなりしてもらった方が、本人のためだと思う。

”途中からリーダー”のやりにくさ

数か月前に仕事で製品プロジェクトのチームリーダーに任命され、手探りで何とかチームをまとめようとしているが、なかなか難しい面もある。


現在の部署に異動してすぐの任命だった。ある程度開発が進んでおり、担当者同士それなりに関係性を築いている状態だったので、これはやりにくいなと思った。学期途中に隣のクラスからふらっと入ってきた生徒が突然学級委員長になるようなものだ。私の実力が認められてリーダーに抜擢されたというわけではなく、誰もなり手がいなかったからという非常に安易な人選なのである。技術的な知識や技能はメンバーの方が上回っているし、自分より上の階層の人も多い。


ただまあ、がんを経験した(していると言うべきか)ことで多少のことでは恐れなくなった私は、気にせず自分の思うように進めている。知識と経験の少なさは各専門メンバーに教えを請いとことん頼る。とりあえず今の自分の役割は進捗を把握し、スケジュール通りにやるべきタスクが完了していることを見届けることだと割り切っている。


私のリーダーぶりをほめて下さる人もいるが、口には出さずとも面白くないと感じる人もいるかもしれない。分からないなりに自分のやり方で進めようと思うと、結果的にそれまでの既定路線をかき乱すことになるからだ。社内打合せで、何となく疎外感を感じることもある。まぁ、そうよね、と思う。最終的にプロジェクトがスケジュール通りに完了すれば良いわけなので、そういう居心地の悪さは問題ではない。


ところが最近、共有すべきメールがある一部のメンバー内のみでしばらくやり取りされていたことが分かり、これには平常心でいられなかった。情報発信者に指摘すると「あぁ、すみません忘れてました」と言われた。やり取りが続く中、私もメールに含めるべきだと気づいてくれる人が誰もいなかったのが何とも情けない。プロジェクトに関する情報はとにかく全て共有してくれないと支障が出る、と憤りを表明したが、本心としてはリーダーなのにないがしろにされた悔しさがあったのだ。頑張っていたつもりが、リーダーとして認識されていなかったことを知り、悲しくなった。


しかし、これも病気のおかげと言うべきか、あらゆる事において持続性がなくなっているため、そのマイナスな気持ちも一晩寝たら消えてしまった。翌日から何もなかったかのようにメンバー達の中に割って入っている。ちなみにメンバーはほぼ男性だが、自分の性を意識することは全くない。







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バラの香りをかいで、ロウソクを吹き消して

毎日通勤中の車の中でアメリカのNPR(=National Public Radio)を聴いているのだが、今朝は"Fresh Air"という番組でブロードウェイ俳優夫妻のインタビューが紹介されていた。


二人ともトニー賞を複数回受賞した実力派で、夫の方は春にコロナに感染し重篤な症状に陥り、妻の方も症状は軽かったものの同じくコロナに感染し、さらにその数週間前にALSと診断されたという。


夫婦は病にかかったお互いのことを思いやり、尊敬し、励まし合っていることがそのインタビューから伝わってきた。インタビュアーから現在の心境を聞かれた夫は、こう語っていた。
「まず・・・とにかく疲労困憊です。でも何とか様々な人のサポートを得て毎日乗り切ることができて有り難く思っています。そして、病に立ち向かう彼女の側で手助けできることを特権だと感じています」


夫は妻を、妻は夫を互いに「強い人」だと賞賛し、途中感極まった夫が声を詰まらせる場面もあった。夫のコメントを聴きながら、熱烈に愛し合っている夫婦の片方(もしくは両方)が病気になった時、深く愛し合っているが故に感情の振れ幅も大きく、その結果"疲労困憊"するのだろうなと思った。それがいいことなのかどうか、私にはわからない。自分に置き換えて考えてみると、長期に渡る闘病となると配偶者には感情的にならず淡々と接してくれる方がありがたい。だから、この夫婦の絆の深さに感銘を覚えたものの羨ましいとは思わなかった。これは感情表現がオープンなアメリカ人との国民性の違いなのかもしれない。


一方、これは羨ましいなと思ったエピソードがあった。夫がコロナ感染で肺炎に近い症状になり、呼吸をすることもままならない状態に陥った際、鼻から息を吸い口から吐くという動作のために看護師がこう声かけをしてくれたという。


「さあ、バラの香りをかいで(Smell the rose.)、そしてロウソクを吹き消して(Blow off the candle.)」


つらかった入院期間であの言葉は楽しい気持ちにさせてくれて、今でも心に残っているんですよ、と夫が語っていた。なかなか気の利いた表現だ。これも国民性か。アメリカ人は日本人が照れ臭くてとても言えないことを臆することなく口にできるのだな。こんな言葉をかけてもらったら気持ちも上がるだろうな。運転しながら口元がほころんでしまうのだった。